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広島地方裁判所 昭和44年(行ウ)8号 判決 1973年4月19日

原告 桑原忠男

被告 厚生大臣

訴訟代理人 片山邦宏 外五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一)  被告厚生大臣が、昭和四三年一二月一二日付で原告の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」第八条第一項の認定申請を却下した処分はこれを取消す。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  原告は、昭和二〇年八月六日午前八時頃所用で一泊した広島刑務所の官舎を自転車で尾道の自宅に向けて出発し、広島市鷹野橋付近に来た際柳の木の下辺りで原子爆弾の被災をうけ、爆風によつて飛ばされ、又は倒壊家屋の資材の下敷きになるかして腰部の打撲をうけ、数時間意識不明であつたが通行人に助け起されて前記官舎にたどりつき、同所で一泊し、翌日広島市内を通つて尾道市の自宅に同日一二時ごろ帰り着いた。

原告は、原子爆弾による一次放射能のほか、多量の二次放射能を受けた。

(二)  原告は、被爆の際受けた負傷と放射能により、昭和三八年一一月頃より、同四三年八月頃までの間脊髄円錐上部症候群により六回、入退院をくりかえしているがその症状の経過は別紙「治療経過表」<省略>記載のとおりである。

(三)  原告は、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」(以下特別措置法という)の施行により、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(以下原爆医療法という)第八条第一項に基づくいわゆる認定患者に対し、一ケ月、一万円の特別手当が支給されるようにたつたことを知り昭和四三年九月七日、原爆医療法第九条第一項の指定医療機関の診断書を添えて被告厚生大臣に対し、右認定申請を行なつたところ、被告は原子爆弾被爆者医療審議会の意見をきいたうえ同年一二月一二日、「原告の疾病は原爆医療法第八条第一項に該当するものと認定しがたい」として右申請を却下し、右処分は、同月二八日広島県衛生部予防課原爆医療係を通じて原告に通知された。

(四)  しかしながら、右処分は原告の疾病を誤認した前提に立つ違法な処分であるから取消しを免がれない。

すなわち、原爆医療法第一条は同法の目的として、原子爆弾の被爆者が「今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことによりその健康の保持及び向上をはかることを目的とする」と規定しているが、の「特別の状態」とは、今なお医学的には十分解明しつくされていない放射能傷のおそるべき影響を意味するものである。

原子爆弾による放射能傷という、人類がかつて体験しなかつた非人道的な科学の悪用の結果生じた事態については、統計的に何らか有意の差が認め得る場合はもとより、そのような関係が見出されなくとも国は当然に国家補償の原理に基づき責任がある。医療の原則として「未知の場合には、これを関係あるものとして、患者の病因を究明し、その健康を守る立場」をとるべきであり本件において被爆した原告のその後の症状が「原子爆弾の傷害作用と全く関係がない」ことが完全に立証できない以上被告は原告に対する救済を拒否しえないというべきで本件処分は原告の疾病を誤認したものである。

更に、被告は本件申請に対する審議につき原告の現症状が原子爆弾の放射能に起因するか否かにつき因果関係がないと断定したうえ、原告の蒙つた外傷につき放射能の与える治療能力に対する影響の有無について判断を経ていないがこれは原爆医療法第一条の趣旨および第七条一項に反した手続上の欠陥がある。

二  請求原因に対する答弁

請求原因(一)の事実のうち原告が昭和二〇年八月六日広島市内において原子爆弾に被爆し、負傷を負つたほか放射能を受けたことは認めるが、その余の事実は不知。請求原因(二)、(三)の事実は認める。(四)は争う。

三  被告の主張(本件処分の適法性について)

(一)  原爆医療法第八条第一項による認定処分は、原子爆弾の放射能によつて負傷し、または疾病にかかり、現に医療を要する状態にある者、及び原子爆弾の爆風または熱線によつて負傷し、または疾病にかかつた者のうち、放射能の影響で治ゆが遅れ、現に医療を要する状態にある者に対する確認行為である。

原告が昭和二〇年八月六日原子爆弾によつて負傷したこと、原子爆弾の放射能によつて治ゆ能力が影響をうけていること及び原告の現在の疾病脊髄円錐上部症候群が現に医療を要する状態にあることは認めるが、それは原子爆弾の傷害作用に基因するものではない。

以下これを詳説する。

(二)  被爆の際受けた外傷との因果関係について、

一般に、外傷により脊髄又は脊髄神経根が損傷をうける場合としては、脊髄震盪、脊髄挫傷、脊髄断裂、脊髄圧迫脊髄内出血、脊髄神経根又は、脊髄と脊髄神経根の合併損傷、の六種類が存するとされているが、右のうち脊髄震盪は脊髄実質の破壊を伴わない一過性の機能喪失であり、受傷直後には身体の機能が麻痺し、その程度は受傷直後が最も重篤で時間の経過とともに軽くなり数時間後に機能が回復し、回復後は後遺症を残さないのが特徴であるから現在の疾病は、脊髄震盪によるものではない。

脊髄震盪を除いた他の五類型の脊髄又は脊髄神経根の損傷はいずれも脊髄実質の器質的な病変を伴うものであり、必ず脊椎の脱臼、骨折といつた損傷を伴うものであるが、原告の腰部のレントゲン写真には、そのような脊椎、脊柱の脱臼、骨折及びその傷痕が認められず、かりに脊椎、脊柱にそのような損傷があつた場合においては、その痛みだけで少なくとも数日間は歩行等の身体的活動は困難であり、しかも、脊髄実質の損傷を生じているのでたとえ動こうとしてもその意思が伝達されず、最少限数週間は対麻痺を残すことにたり、歩行等の身体的活動は不可能である。ところが原告は被爆の翌日自転車で八〇キロメートルの道を自宅まで帰るという身体的活動を行なつている。このようなことから考察すると原告には被爆の際の外傷による脊髄実質の器質的病変は存在しなかつたといわなければならない。

また外傷による脊髄円錐上部に損傷が生ずる場合はそれより上位の神経根の損傷を伴なうのが通常であつて脊髄円錐上部にのみ損傷が生ずる可能性は極めて少ない、この点からも上位の神経根の損傷を伴わない原告の現在の疾病は被爆の際の外傷に起因するものでないことが裏付けられる。

(三)  被爆の際受けた放射能との因果関係について

1 脊髄は人体組織の中で放射能に対する感受性が最も低く、脊髄に対する器質的な病変は一回吸収線量で一五〇〇ラツドないし二〇〇〇ラツドの放射能を、また脊髄に対する一過性の機能的障害は一回吸収線量で一三〇〇ラツドないし一五〇〇ラツドの放射能を受けなければ生じないといわれているが、原告は一〇〇ラツド程度の放射能を受けているに止まりこの程度の放射能を受けても、脊髄円錐上部に何らの損傷を生ずることはないから原告の現在の疾病は被爆の際の放射能とは因果関係がない。

2 又脊髄円錐上部症侯群の一つの原因として脊髄腫瘍が考えられ放射能照射→体細胞の突然変異→脊髄腫瘍の発生の経過を指摘する説があるがこれは未だ確立されたものではなく一部の学者によつて唱えられているに過ぎず、しかも原告の場合各病院における検査の結果から脊髄腫瘍の存在は否定されているので、原告の現在の疾病が右因果関係による放射能に基因するものではない。

3 更に被爆時の腰部打撲に加えて一〇〇ラツド程度の放射能を受けた場合の影響についても前記脊髄の放射線耐容線量一五〇〇ないし二〇〇〇ラツドというのは放射線脊髄炎患者の年令、高血圧症、糖尿病性血管炎感染症等の疾患の有無、軽重という脊髄耐容線量に差を生ずる可能性のある個体差を含めて考慮した場合の最低の線量であるから本件程度の放射能によつては脊髄損傷が生じないとする結論に消長はない。

4 腰部打撲傷に対し放射能による二次的な全身的出血傾向が加わつて、脊髄損傷が出現したとの可能性については、右全身的出血傾向を血小板の減少によるものと解すれば、それに必要な吸収線量は三〇〇ラツドといわれているから、一〇〇ラツド程度の線量を受けたにすぎない原告においてかかる可能性はなく被爆直後から昭和二〇年一〇月中旬頃までの間の原告の症状をみると全身的出血傾向を疑わしめるようなものがないから、これを否定すべきものである。

四  以上のように、原告の現在の疾病脊髄円錐上部症侯群はどの角度から検討しても、原子爆弾の被爆と関係のないものであり、別個の原因にもとづくものと認めるのが相当であり、原告の現在の疾病が原子爆弾の被爆に起因することが確認できない以上、原告の原爆医療法第八条第一項に基づく認定申請を却下した本件処分は適法である。

第三証拠関係<省略>

理由

第一原告が昭和二〇年八月六日、広島市鷹野橋附近において原子爆弾に被爆して負傷しかつ全身に放射能の照射を受けたこと、昭和三八年一一月頃より同四三年八月頃までの間、脊髄円錐上部症候群の症状を呈し、前後六回にわたり尾道市民病院等に入退院を繰り返し、現在も右疾病の治療を要する状態にあること、そこで原告が特別措置法に基づく特別手当の支給を受けるため、昭和四三年九月七日被告厚生大臣に対し、原爆医療法第八条第一項に規定する「原告の疾病が原子爆弾の傷害作用に起因するものに該当する」旨認定を求めて申請したこと、これに対し、被告は、原子爆弾被爆者医療審議会の意見をきいたうえ同年一二月一二日付で「原告の疾病は原子爆弾の傷害作用に起因するものとは認めがたい」として、右申請を却下し、同月二八日広島県衛生部予防課を通じて原告に通知したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

第二原告の被爆の状況

まず原告が被爆した時の前後の状況について判断するに<証拠省略>並びに原告本人尋問の結果によれば、つぎの事実が認められる。

原告は、当時広島刑務所に勤務し広島市吉島町の官舎で生活していた弟宅に食糧を届けるため、昭和二〇年八月五日夕方、自転車で尾道市原田村の自宅を出発し、夜になつて広島市内の右弟宅に到着し、同日はそこで宿泊し翌六日午前八時前頃、帰宅するため弟宅を出発し、北進して鷹野橋付近(爆心地より約一・三キロメートルの距離)に至つたところ柳の木の下辺りで、被爆するに至つた。

原告は被爆の瞬間、爆風とシヨツクによつて失神し、意識が回復したときには爆風により吹き飛ばされたか、もしくは倒壊した材木の下敷になつたかのため、腰部を打撲し自力で立ちあがることができず、付近を通りかかつた人に助け起されて、吉島町付近まで送つてもらつた。

六日の夜は弟宅で夜を明かしたが、被爆の惨状を聞くに及び自分早晩死ぬのではないかとの不安にかられ、なんとしても郷里の原田村に帰りつきたいと思い、翌七日早朝弟宅を出発しその際腰が痛むので、付近にあつた自転車に身をもたせ、広島市内を通過して広島駅にたどりついたが汽車が不通であることがわかり、やむなくそのまま尾道まで歩いて帰ろうと決意し、帰途東洋工業に勤務していた同郷出身の訴外清水喬の安否を気遣つて立ち寄つたり、海田駅前の友人兼綱悦雄方に立ち寄つたうえ途中八本松付近の下り坂は自転車に乗つたほか、歩きとおして同日夜九時頃やつと尾道市内に居住する叔父桑原定市宅にたどりつき、同所で暫く休息したのち、午後一二時頃原田村の自宅に帰ることができた。

以上の事実が認められこの認定に反する証拠はない。

第三被爆後現在に至るまでの原告の病歴

<証拠省略>を総合するとつぎの事実が認められる。

原告は原田村の自宅に帰宅後、約一月間位は寝たきりの生活で、昭和二一年春頃までは、専ら家の中で寝たり起きたりの生活が続き、その間主として戦闘帽でおおわれていなかつた部分が脱毛し、口内の歯ぐきから出血する等の原爆症の症状が現われたほか、腰の痛み、臀部の知覚障害、排便障害があり、近所の鈴木医師の往診を受けた。

同年春頃からは、松葉杖をついて通院することができるようになり昭和二三年四月頃腰痛で受診したことがあり以後年二回位時々腰痛があり昭和二五、六年頃いくらかよくなつたが排便障害があり下剤を飲んだりかん腸をしたりしていた。

昭和二八年頃には、第一回目の脱肛手術を受けたほか炬燵に入つている時臀部に火傷を負いその部分に知覚麻痺があつたためか、入浴時に局所に触れて始めて気がついたという。現在七センチメートル四方程度の瘢痕が残つている。ところで身体障害者判定票並びに診断書には昭和三一年慢性中耳炎により第六級の身体障害者の認定を同四〇年には両下肢機能障害により、第三級の身体障害者の認定を受けたことにたつている。この間原告は昭和三四年頃国民健康保険の受給資格を取得し同保険療養給付記録上には、昭和三六年八月と一〇月に歯の治療、同九月に胃炎蛔虫症の治療同三七年一〇月胃炎の治療、同三八年一一月六日より九日間、鈴木医師により慢性リユウマチ性疾患の治療をそれぞれ受けたことになつている。しかしこの間のカルテは保存期間経過のため廃棄され、診療にあたつた鈴木医師は死亡しているので詳細は判明しない。

昭和三八年一一月二〇日尾道市民病院に病名坐骨神経痛膀胱直腸麻痺脱肛で入院しているが入院時の看護記録によると「三年前に神経痛あるも一週間位で治癒す。二〇日以前より腰部より左足に痛みあり一〇日位前より右足にしびれ感あり。四、五日前より排尿便困難」と記載されている。昭和三九年三月一六日右病院を退院し、同年七月二〇日再び同病院に病名脱肛兼痔核変形性脊椎症膀胱直腸不全麻痺で入院、昭和四〇年八月八日退院し昭和四一年四月七日尾道厚生連尾道綜合病院に病名馬尾神経麻痺神経性膀胱で入院し同年六月八日退院し昭和四二年一月一六日同病院に病名脊髄炎の疑で入院し同年三月一八日退院し昭和四三年五月一三日同病院に病名根性坐骨神経痛で入院し同年五月二二日退院し同年八月二一日広島市内福島病院に病名脊髄円錐上部症候群で入院し同年八月二八日退院している。しかして各入院時における病気の程度治療の経過は別紙治療経過表<省略>記載のとおりである。

現在の症状は知覚麻痺が下半身全体に及び特に右側がより高度であつて鞍馬状知覚障害より両下肢麻痺に発展し、分離性知覚脱失がある。右下肢に筋萎縮があり、腱反射病的反射は特異的でない。疼痛は腰部及び下肢の放散痛である。歩行障害があり、その改善は一般に疼痛よりおくれている。排便排尿障害を常に伴つている。特異的な治療を要することなく、安静と対症的加療により自然寛解をきたし、再発をくりかえしている。

尾道市民病院に入院中撮影された腰部のレントゲン写真(昭和三八年一二月一八日現在)によると当該部分の脊椎に異常は認められず、過去に損傷をうけた痕跡は発見できない。又、厚生連尾道綜合病院に入院中のミエログラフイ検査(昭和四一年四月二三日現在)によつては、脊髄に異常がない。

以上の事実が認められこの認定に反する証拠はない。

第四原告の被爆後の社会生活の状況

原告が被爆後営んできた社会生活の状況はつぎのとおりである。

<証拠省略>並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二一年三月原田村農業会理事に当選、同年九月広島県御調郡代表として食糧対策委員に選任され、昭和二三年二月原田村農業協同組合共済組合設立に際し発起人代表となり、昭和二四年八月原田村農地委員に再当選し副会長となり、同年一一月広島県農地委員に当選し副議長となり、昭和二五年四月広島地方裁判所調停委員に再任命され、同年五月原田村農業協同組合理事に当選し、昭和二六年三月原田村議会議員に再当選し副議長となり、昭和三〇年四月尾道市森林組合理事に当選し副組合長となり、昭和三二年七月尾道市農業委員に当選し西部班長となり、昭和三五年五月原田町農業協同組合理事に当選し、同年七月尾道市農業委員に当選し右村議会議員としては、昭和二二年五月二一日から、同二九年三月三一日までの間の七三回開催された村議会のうち、六三回出席し、欠席八回、不明二回である。

この間昭和二二年四月三日には次女良江が出生している。

生業として農業を営み刑務所の教育課から招介された仮出所者らの手伝によつて現実の農作業をしていた。

以上の事実が認められこの認定に反する証拠はない。

第五特別措置法第二条によれば「都道府県知事は原爆医療法第八条第一項の認定を受けた者であつて同項の認定にかかる負傷又は疾病の状態にあるものに対し特別手当(施行時月額一万円又は五、〇〇〇円)を支給する」と規定されているが右原爆医療法第八条第一項の認定とは当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定をいい同法第七条によつて医療給付を受けることができることになつている。しかして同法第七条は「厚生大臣は原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある被爆者に対し必要な医療の給付を行う。ただし当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときはその者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る」と規定している。すなわち原子爆弾の傷害作用は、爆発により放出する放射能、熱線、爆風その他を総合した強力な作用であり被爆者は多かれ少かれこれらの全部を受けていると考えられるので、直接放射能に起因する疾病のほか放射能以外の爆風等に起因する疾病についても一般の疾病とは異る面があるので、ただし書によつて放射能の影響のため身体の治ゆ能力の低下によるその発現形態をとらえてこれをも原爆医療法等による医療給付等の対象におき被爆者の保護を計ろうとしたものと解せられる。

これに関連し、特別措置法第五条によつて特別被爆者に支給される健康管理手当(施行時月額三、〇〇〇円)については、厚生省令で定める障害を伴う疾病すなわち造血機能障害、肝臓機能障害、細胞増殖機能障害、内分泌腺機能障害、脳血管障害、循環器機能障害、腎臓機能障害、水晶体混濁による視機能障害にかかつているものに対してはこれらが放射能に起因することの可能性を認め却つて放射能の影響によるものでないことが明らかであるもののみを除外して給付の対象としており前記原爆医療法第七条の解釈上参考とすることができる。

そこで原告が現疾病たる脊髄円錐上部症候群につき原爆医療法第七条第一項に基いて被告厚生大臣の認定を受けるためには右疾病が原子爆弾の放射能に起因するかもしくは原子爆弾の爆属等に起因しかつ放射能の影響により治ゆ能力が低下していることを要するものと解せられるところ、本件において原告は被告厚生大臣が右認定申請を却下した処分を争うので前記認定事実を基礎とし更に以下証拠に基いて判断を加える。

一  脊髄円錐上部症候群について、

脊髄円錐上部症候群とは、<証拠省略>によると医学的につぎのように説明される。

すなわち脊髄円錐上部(別紙図面<省略>)が損傷された結果円錐部の神経と脳との間の伝達が阻害されるので円錐上部及び円錐部の支配する知覚及び運動機能に障害がおこり特徴として足趾及び下肢の運動障害及び筋萎縮、腱反射の減弱、知覚の鈍麻或いは脱失、尿路障害、腸管障害があり、急性期では水様便、軟便の失禁、慢性期では頑固な便秘があらわれるものである。

二  原告の疾病、脊髄円錐上部症候群が被爆の際に受けた外傷(腰部打撲)に起因するか否かについて。

鑑定人津山直一の鑑定の結果(以下津山鑑定という)、<証拠省略>及び津山証言によると、脊椎や脊柱に加わつた外傷により脊髄又は脊髄神経根が損傷される場合、損傷の型式として(一)脊髄震盪(二)脊髄挫傷(三)脊髄断裂(四)脊髄圧迫(五)脊髄内出血(六)脊髄神経根損傷、又は脊髄神経根の合併損傷の六種類が考えられるところ、脊髄震盪は脊柱に対する強い打撲や脊柱管の瞬間的な転位が起つた場合のみに起り、脊髄実質の震盪により神経細胞の一過性の機能障害が起るもので、脊髄神経細胞や神経線維には破壊が起ることなく、数時間以内に機能の回復が始まり、後遺症を残さないし、脊髄挫傷は脊柱管内の脊髄実質が挫滅されるものであるから、常に脊椎の骨折や脱臼による転位がなければ起らず、同時に重篤な脊椎の損傷を伴う。初期に症状が重篤で日を経るにしたがい、機能の回復をみることがあるが、挫傷の程度により完全から不完全の種々の程度の対麻痺を残すものである。

脊髄断裂は脊髄が断裂するもので、損傷は非回復性で治癒はありえない。脊椎の骨折・脱臼がなければおこりえない。脊髄圧迫は脊椎の脱臼骨折の転位した骨片や突出部が脊髄を圧迫するもので、脊椎の重度の損傷を伴う。転位を整復し圧迫を加える因子を除去しない限り治癒しない。脊髄内出血は脱臼・骨折による脊髄への直達外傷によつて起る場合と、脊髄震盪と合併する場合があるが、脊髄実質内に出血が起り、脊髄が腫脹し、脊髄細胞や線維の破壊を伴まい、出血と腫脹の消褪に伴つて徐々に症状は改善するが、脊髄実質の破壊の程度に応じた脱落症状が後遺症として残ることが多い。実質内とは別に、硬膜外又は硬膜内、くも膜下に出血することがあるが、前記の損傷のいずれかが合併するものである。脊椎の重度損傷が合併しなければ起りえない。脊髄神経根損傷とは第二腰椎レベル(脊髄は、第一腰椎下端もしくは第一腰椎と第二腰椎の問のレベルで終り、それ以下では、神経根よりなる馬尾神経が脊髄管内に存在する別図<省略>参照)以下の脱臼骨折によつて脊桂管の転位・変形がおこれば、神経根の損傷の形式をとる。脊髄自体の損傷よりも回復が良好である場合が多いが、この場合も初期に重篤な症状を呈し、日を経るに従つて神経線維の再生による機能の回復がみられるが、なんらかの知覚や弛緩性運動麻痺は残り、不完全な麻痺として症状が固定するのが常である。また、脊髄神経根の合併損傷とは第一〇胸椎より第一腰椎までが損傷するとこの部分の脊桂管内には、脊髄実質の他、第一腰髄神経根から第五仙髄神経根に及ぶ脊髄神経が互に接しあい並んで存在しているので、脊髄並びに神経根の合併損傷の形をとる。

そして脊髄円錐上部が外傷により損傷を受けた場合は、脊髄自体の損傷と、より高位の脊髄神経根の損傷が合併して起る特徴があることが夫々医学上説明される。

しかるに、前記認定した事実によれば、原告は、被爆した翌日広島市から尾道市の生家まで約八〇キロメートルの間を自転車を利用したにせよ歩行を交えた身体的活動をしていること、尾道に帰つてから約一ケ月位の間、寝たきりの生活で脱毛、口内出血等の症状が発現したが自宅静養の結果翌昭和二一年春頃からは公職にも就きうる程健康をとり戻したこと、歩行障害、知覚麻痺が強く表われるようになつたのは昭和三八年一一月頃からであること、尾道市民病院に入院中に撮影されたレントゲン写真によつて、脊髄円錐部の損傷をきたす脊椎の部分には異常が認められず、又過去において重篤な損傷を受けた痕跡が認められず、診療録によつては外傷による脊髄円錐上部症候群の場合に認められる筈のより高位の脊髄神経根の障害がうかがえない。

以上のとおり医学の立場からすると外傷によつて脊髄円錐上部が損傷され現在の症状が発現したものと解することは困難である。

これに対し原告は被爆の翌日尾道まで自転車を利用しながら帰宅したことにつき、原子爆弾被爆時の異常特別な状況下に在つては精神力も身体の適応力も通常では考えられない大きな力が発揮されることがありうるから医学の常識を以て律することはできないという。しかしながら、津山証言によれば、脊髄が損傷されている場合には、如何なる精神力を以つてしても身体を動かすことは不可能であるというのであるから、右見解はとりえない。

更に、原告は被爆時の腰の打撲により脊髄出血を伴つた脊髄震盈を起こしたことが考えられ、被爆の翌日八〇キロメートルの距離を歩行したこととが、脊髄内の出血を増大させた結果、今日迄後遺症を残している可能性があると指摘するが、前記津山証言によればこの指摘によると、昭和三八年頃になつて歩行障害、知覚麻痺等が強くあらわれるようになつた事実を医学的に説明することが困難とされる。

原告の主張する推論によつては、前記医学上の判断をくつがえしえない。従つて、原告の被爆後の生活状況に医学の判断を総合斟酌すると、原告の現疾病が被爆時の腰部打撲なる外傷に起因するものと認めることは因難といわねばならぬ。

三  右脊髄円錐上部症候群が、原子爆弾の放射能に起因するか否かについて、

(一)  原告の受けた推定被爆放射線量について

鑑定人橋詰雅の鑑定(以下橋詰鑑定という)の結果によれば、つぎのように説明されている。原告は、被爆の際

(1)  爆発の原因となる核分裂によつて生じた中性子線(細胞内に入ると放射性同位元素をつくり出すもので放射性同位元素は二次的に崩壊しアルフアー線、べータ線、ガンマ線を出すから終局的に細胞のイオン化を惹起する)及びガンマ線(電磁波で原子の中に深い到達力をもつており原子内に到達すると原子を構成する電子をはじきとばしそのことにより二次的にべータ線をつくり出し又当該局所の原子をプラスイオン化する)等を体外から受けており、その線量は広島の場合爆心地より一・三キロメートルの遮へい物のない地点では、ガンマ線七〇ラツド(五八ラツド)中性子線三〇ラツド(三三ラツド)合計一〇〇ラツド---日本の放射線医学総合研究所の推定値、括弧内はオークリツジ国立研究所の推定値-誤差は+-15パーセント(+-30パーセント)と推定されている。

(2)  前記中性子線が地上の建物や土地等にあたつて生ずる誘導放射能によつて生じたガンマ線等による体外からの被曝をうけており、日本の放射線医学総合研究所の推定値に基いて考えると、原告の場合は、均一ラツドであり、翌日爆心地付近を二時間徘徊したことによつてさらに一・五ラツド、合計二・五ラツドの放射能を受けていると推定される。

(3)  前記誘導放射能をもつた紛塵等を吸入するから、べータ線(スピードの速い電子エレクトロンであり照射により原子内に入るとそのエネルギーが付与され全体としてマイナスイオン化を惹起する)等による体内被曝を受けている。

(4)  放射能をもつた核分裂生成物(いわゆる死の灰)が風や降雨によつて地上に落下し、ガンマ線、べータ線等による体内及び体外からの被曝を受けている。

以上(3) 、(4) は原告の場合はごく微量であつて殆んど問題とならない。

更にこの点につき鑑定人津屋旭の鑑定結果(以下津屋鑑定という)及び証人としての証言(以下津屋証言という)によるとつぎのように説明される。

原告が被爆の際、戦闘帽の下の頭髪に脱毛がみられなかつたことは被爆線量が脱毛量と一般的にいわれる数百ラツド以下であることを意味するし、放射能感受性の点からいうとリンパ球、造血臓器が最も感受性高く、神経細胞、神経線維が最も感受性が低いとされているが、原告の病歴、或いは健康診断の記録などにみられる血液所見の推移によると原告に造血臓器の異常があるとは考えられないので原告の推定被爆線量は一〇〇ラツド程度のもので

ある。放射能科学の立場から以上のように説明され、原告は被爆の際合計一〇〇ラツド前後の放射能を受けたものと認めるのが相当であつてこの認定に反する証拠はない。

(二)  津屋鑑定及び津屋証言によればつぎのように説明される。

すなわち原告の主訴及び臨床記録などからみると脊髄神経症状が長い経過を辿つておりこれを発現させているのは機能的な障害でなく、器質的な障害であると考えられるが、この器質的な神経障害は放射線脊髄炎といつて放射線治療による局所照射の際みられるもので(照射部位に脊髄が含まれる)症状として知覚障害、運動障害、膀胱直腸障害などを伴い原告の症状と一部一致するものである。

右照射の一回照射線量は約一、五〇〇ラツドないし二、〇〇〇ラツドと一般に考えられており、出現率は二三%に止まりそれ以外の大多数は右線量の照射を受けたにも拘わらず正常な生活を送つておる。患者の年令、個体差、高血圧症、糖尿病性血管炎、感染症などの疾患の有無、軽量により脊髄耐容線量に差を生ずることは当然考えられるが、右一、五〇〇ラツドないし二、〇〇〇ラツドの線量は文献等からみて個体差をも含めて考慮した最低の線量と考えるのが妥当である。(津屋証人の調査によると外国において一八〇例、日本において五〇例が報告されている)又中枢神経が放射能により機能的な影響を受け易いことは最近知られるようになつたがこれはいづれも生理的かつ一過性とみられるものでしかも脊髄耐容線量に近い照射を受けたことが前提となる。

更に過去において強直性脊髄炎の患者に対して対症的に放射線療法を行つたことがあるが、この際には脊髄に数百ラツドないし千ラツドの照射がしばしば行われていたがこのような線量で脊髄炎を起したという報告はない。かつて結核性リンパ線炎の患者に対して五〇ないし三〇〇ラツドの放射線照射による治療がしばしば行われたがそのような患者について放射線脊髄炎が出現した事例の報告はない。更に各種の放射線治療に際して一回吸収線量を二〇〇ないし三〇〇ラツドとすることは世界各国で長い間採用されていることであつてこれによつて放射線脊髄炎が生じたとする報告はない。更に放射線脊髄炎は一過性のものと永続性(又は進行性)のものと二種類に分類されるが原告の症状に類似する永続性のものについて考慮するとその場合の潜伏期間は通常照射終了後三ヶ月以上二三年以内(最長七年の例もある)であり又一旦発病するとその症状は通常進行性或いは持続性である。これを原告の場合についてみると推定被爆線量が一〇〇ラツド前後のものであり、かつ、被爆後昭和三八年一一月頃に至つて継続的な重篤症状が発現したというのであるから、これが被爆の際における放射能の影響によるものとするのは現在の医学常識上考えられない。医学の立場からは以上のように説明される。

(三)  原告はこれに対し放射能照射により体細胞に突然変異が生じ脊髄腫瘍が発現して脊髄円錐上部症候群に至るとする経過の可能性を指摘しジエフ、ミンクラー医学博士編集の「神経系統の病理学」中の所説を紹介している。(しかし右ミンクラーの著書<証拠省略>の中には「放射線に起因する体細胞の突然変異は放射線腫瘍の原因として考えられてきた。けれども因果関係が推測されることがかなりしばしばあるにもかかわらず中枢神経組織に関しては照射部位における腫瘍の発生は稀である」とする記述も含まれておりむしろ脊髄腫瘍に関しては蓋然的な因果関係を否定する結果になるのではないかとも思われる)放射能照射が脊髄腫瘍を発現させるか否かについては医学上未だ明らかでないように解せられるが他方脊髄腫瘍か脊髄円錐上部症候群の一つの原因となりうることは前記津山鑑定、同証言、田阪証言等によつても支持されている。しかしながら<証拠省略>によれば原告が前記尾道市民病院に入院した際のカルテの記載中、傷病名欄に脊髄腫瘍、坐骨神経痛(膀胱直腸麻痺)、脱肛と記載されていたのが脊髄腫瘍の欄が抹消されていることが認められ、又<証拠省略>によれば原告が前記厚生連尾道総合病院に入院した際のカルテの二月六目の欄に病名として腫瘍と結核性髄膜炎の記載があるが最終的には脊髄炎の疑と診断していることが認められこの点につき田阪証言によればこれらの病院は原告について脊髄液の変化等の検査をなし、又体温、脈搏、意識障害、食欲等に関する臨床経過を検討して診断した結果脊髄腫瘍の疑を否定したもの解せられというから原告については脊髄腫瘍の発病そのものがなかつたと認めることができる。そうすると原告の脊髄円錐上部症候群が被爆による放射能照射-体細胞の突然変異-脊髄腫瘍の経過を経て発病したとする可能性は否定されざるをえない。

以上原告の放射能被爆線量、病歴、これに対する医学的判断の結果を斟酌して考慮すると、被爆の際における放射能照射によつて現疾病が発現したものと認めるのは困難といわざるをえない。

四  原告の脊髄円錐上部症候群が被爆時の外傷(腰部打撲)と放射能照射との競合した傷害作用に起因する余地がないか。

叙上認定のとおり被爆時の外傷(腰部打撲)との因果関係、並びに放射能照射との因果関係についてこれを個別に検討する限り否定せざるをえない。

しかしながら原告は被爆により原子爆弾の傷害作用たる爆風と放射能とを不可分競合的に全身に受けているのであつて爆風による外傷(腰部打撲)と放射能照射が相乗的に原告の身体に働らいた結果現在の疾病が発現する余地がないか更に検討を加えたい。

この点に関し杉原証言によれば一九五八年に出された放射能の影響という国連科学委員会報告中に「放射線の作用の一つの重要な特徴は細胞にしろ、有機体全体にしろ、この復元機構、或いは修復機構そのものに損傷を与えることである。」する所説を挙げ、一般論として病理学の立場からすると原子爆弾の被爆を受けた場合は全身性の放射能障害が起るから抵抗減弱部位たる外傷部分に放射能障害の影響が加わつて複合的な変化を生ずるとし、放射線を受けた人の現わす病的な現象はすべて放射線に関係があるとし原爆医療法第七条に基く認定申請に対しては医療を要する現症状が原子爆弾の影響によるものでないことが証明されない限り、すなわち他に現症状の主因が認められない限り、認定されるべきであると結論する。杉原証言の見解は被爆者を能うかぎり援護しようとする目的に立脚し評価すべきものを含んでいると思料される。

しかしながら前記津山証言によれば脊髄円錐上部症候群という疾病は被爆者の呈する疾病としては極めて稀有の事例であるということであるし、前記津屋鑑定及び津屋証言は、これまでの医学界の報告を検討して、患者の年令、高血圧症、糖尿病性血管炎、感染症等の疾患の有無軽重という脊髄耐容線量に差を生ずる可能性のある個体差を含めて考慮しても一回の被爆線量一、五〇〇ラツドないし二、〇〇〇ラツド以下の低線量によつて放射線脊髄炎が出現した例がないということを前提とし原告の場合はその外傷が前認定のごとく外部から傷痕の確認されない、しかもレントゲン写真に異常が認められない程度のものでありこれに対し右にくらべ著るしく低線量の一〇〇ラツド位の放射能が加わつても脊髄の損傷が出現することはありえないし、まして被爆後一八年もの長期間を経過したのち強度の現疾病が発現することはないと説明している。又原告の指摘する腰部打撲の外傷部位に放射能による二次的な全身的出血性傾向が加つて、脊髄損傷が出現するとする推論に対しても右全身的出血性傾向が血小板の減少によるものと解するならば、それに必要な吸収線量は三〇〇ラツドといわれているから一〇〇ラツド位の線量を受けた原告について右全身性出血性傾向が出現する蓋然性がないと説明する。

そうすると原告の被爆後の症状の経過、疾病の内容に即してなした医学上の判断は弁論にあらわれた範囲においてすべて因果関係を否定する見解を採つている。

もとより被爆という形の医学的実験はもはや有り得べからざることであり医学がこれまでの臨床的実験の結果を基礎として被爆者たる原告の疾病に対し断定的な結論を下すことが可能であろうかとの疑念は存するけれどもさればといつて他に右因果関係の存在を合理的に推論しうる事実並びに医学上の鑑定があらわれない以上原告の現疾病は被爆外の原因に基く蓋然性が高いものと認めざるをえない。

結局被爆の際の外傷と放射能照射とを不可分的に競合した原因として考察を加えた場合においても原告の現疾病がその影響を受けたものと認めるのは困難である。

第六原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和三九年に至り特別被爆者として特別被爆者健康手帳の交付を受け、一般疾病の自己負担分について医療給付を受けえられるに至つたので、現症状の治療については国民健康保険のほか自己負担を要しないし、その後健康管理手当月額三、〇〇〇円(昭和四八年四月より四、〇〇〇円)の支給を受けている。

しかしながら被爆者が現在健康及び生活面において一般に比し保護を要すべきものであることは昭和四二年厚生省公衆衛生局発表の原子爆弾投下の被害実態調査<省略>の統計によつても明らかである。

試みにこれを挙げると健康面においては一般国民を一〇〇とした場合被爆者の医療を受けた率が一九四、医療費の支出率二三二、買薬率三三五、保健薬常用率一四七、身体障害率三七五であり、生活面においては、失業率一四六、休業率二五五、転職率一四二、年間所得率九〇等となつている。

被爆者に対し従来医療給付しか支給されていなかつたものが特別措置法の施行により、特別手当と称して生活給付が支給されるようになり制度上被爆者援護の幅が厚くなつたことは評価すべきものであるが右生活給付を受けえられるのは原爆症として現に医療を要する被爆者に限定せられ医学の立場からの認定作業が前提とされる。

引揚者に対する援護立法においてはすでに生活給付が法制度化されているが人類史上初めて受難し身を以て戦争終結の機縁を作つた被爆者に対して国が補償の責任を果すことが他の福祉制度との関連並びに現在の国の経済力からして困難なことであろうか。

被爆後二八年、被爆者が老令化の途をたどり減少していることは明らかなことである。少くとも被爆者のうち生活度の低落を余儀なくされている人に対しては原爆症の認定という医学の介入をまつまでもなく特別手当としての生活給付が与えられることを行政の立場で配慮されることが望ましい。

第七本訴においては原告本人尋問の結果において認められるごとく被爆前は短距離走等スポーツに特技を有し健康体であつた原告が被爆後現在に至るまで健康に恵まれないところから現疾病たる脊髄円錐上部症候群を以て原子爆弾の傷害作用に起因するものと考えて本件認定申請に及んだ気持はまことに無理からぬところがあるけれども、以上、弁論にあらわれた原告の被爆後の病歴、生活歴これらを基礎とした現代医学における鑑定見解、並びに現行原爆医療法の規定の解釈を以てするとき、原告の現疾病が原子爆弾の傷害作用に起因するものとは未だ認め難いから原告の右認定申請を却下した被告の本件処分は適法というべきである。

よつて本件処分の取消を求める本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田辺博介 海者沢美広 野田武明)

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